日本の化粧品の歴史

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日本で化粧品の文化が生まれたのは太古上古時代。

この頃は、原始的な赤土粉飾が行われていた。

4~5世紀になると、大陸文化とともに、鏡や香料や紅花などがシルクロードを経て日本へ渡る。

宮廷女性のメイクのお手本となったのは、唐から伝わった大陸風。

奈良時代になると、絢爛豪華な大唐朝文化の影響で、紅、白粉、朱、香料などが入ってきた。

化粧の始まりは8世紀中ころと言われている。

当時の女性を描いた鳥毛立女の屏風に描かれた女性は眉を太く紅をさしている。

平安時代には、日本独自の文化が貼ったる。貴族階級などは顔に白子なを塗って白さを強調していた。

白粉は水銀や鉛から作られていた。

また、化粧の方法は、眉を剃って額の上部に別の眉を描いていた。さらに、成人した男女はお歯黒(鉄漿・かね)を行っていた。

平安時代の貴族は白粉を使い、紅花から作られた紅を使っていた。

庶民は、鉛を原料とした京白粉、コメや栗の澱粉で作った白粉を使っていた。

お歯黒は、貴族の女性は成人した印、男性は忠義の印だった。

11正規半ば(平安末期)になると、貴族社会から武家社会になり、お歯黒や眉剃りが一般的になり、白粉は鉛白粉が主流に。

1606年には、「石けん」が登場。当時の石けんは、麦の粉を灰汁で固めたもので、一般に使われだすのは、明治以降。小麦などの粉を入れた洗粉で体を洗い、ウグイスのフンなどを使って、顔を洗うようになる。

江戸時代になると、一般庶民まで化粧が広がる。

当時の美人の第一条件は色白であり、白粉化粧(鉛白粉)が中心。

お歯黒は既婚女性(結婚・婚約すると歯を黒く染め、貞女の印)の印とされた。

子供ができると、眉を剃っていた。

江戸時代の口紅は紅花から作られ、色は赤一色であった。

赤いホウセンカとカタバミを混ぜて、爪に塗る爪紅も登場し、これがネイルの始まり。

明治時代になると、お歯黒と眉剃りが太政官布告により禁止令が出された。明治6年ころに当時の皇太后がやめたことで急激に衰退。

お歯黒の主成分はタンニンで、歯槽膿漏と虫歯の予防になっていため、当時まで長く行われていた。

明治20年(1887年)、鉛白粉による鉛中毒が社会問題になり、明治37年(1904年)に良質の無鉛白粉(御園白粉)が伊東胡蝶園から発売された。

大正時代になると、和装から洋服へと代わり、お化粧も、バニシングクリームと色が豊富になった白粉が使われるようになる。

1917年、白・黄・肉黄・ばら・ぼたん・緑・紫の7色を肌の色に合わせて組み合わせるという、七色粉白粉が発売される。

昭和に入ると、メイクアップは大衆化され、昭和40年代には、アイシャドウ、マスカラのようなアイメイクが流行。

人間科学(ヒューマンサイエンス)の観点から研究可発芽活発に行われ、優れた品質の化粧品が数多く誕生する。

・1915年 ヘチマコロンの誕生。天然植物系スキンケア商品の元祖。

・1934年 資生堂からW/O型乳化クリーム「ホルモリン」が発売される。肌の若返り効果が期待される。

・1937年 ハリウッド美容室から、日本初のマスカラが登場。美容科のメイ牛山さんがワセリンと石炭粉からできたアメリカのマスカラを日本人向けに改良したもの。

・1947年 日本初の油性ファンデーションがピカソ化粧品から発売される。伸びの良さなどからベースメイクの定番に。

・1955年 石けんシャンプーから、中性洗浄料へ移行しはじめる。花王フェザーシャンプーはシェアの8割を占める。

 

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